「この世の中には二種類の〇〇がある。●●と●●以外だ」という言い回しが持つ裏の意味について
たまに聴くこの言い回し
こんにちは、本ブログ記載主のトーターです。
本日のブログ記事ですが、先日ぼんやりと思い浮かんだことを、とりとめもなく文章にしていきたいと思います。
もしかしたらかなり存在意義が薄い文章になるかもしれませんが、そのあたりはご了承ください。
主題は何かと言いますと、タイトルにありますように、
「この世の中には二種類の〇〇がある。●●と●●以外だ」
という言い回しについてです。
つい先日袋ラーメンを鍋で調理していた時に、
「この世の中には二種類の食べ物がある。麺類と麺類以外だ」
というフレーズが頭の中に浮かんできまして、
「うむ。確かにそうだ。麺類は別格なのだ」
と一人で静かに納得していました。
私は麺類が大好きです
なぜそのような言葉が浮かんできて、更に自分自身がそれに深く納得したかと言いますと、私が麺類が大好きだからだと思います。
ラーメン、うどん、スパゲッティ、そうめん…。
大抵の麺類は好物なのです。
それゆえに、
「この世の中には二種類の食べ物がある。麺類と麺類以外だ」
というフレーズには、その表現が持つそのままの意味であるところの
「全ての食べ物を対象としたグループ分けの方法として、麺類グループとそれ以外のグループの二つに分けるというやり方がある」
という意味合いだけでなく、
「麺類は別格である。この世で一番美味しい食べ物は麺類である」
というニュアンスも読み取ることができるのです。
裏の意味が込められる
この言い回し、麺類という言葉以外でも色々と当てはめることで別のフレーズを作ることができるのですが、どれも表の意味とは趣が異なる裏の意味を込めることが可能です。
「この世の中には二種類の生き物がいる。ゴキブリとゴキブリ以外だ」
「この世の中の大学は二種類に分けられる。東大か東大以外かだ」
のような感じですね。
その対象物を好きなのか嫌いなのかはその時々によって変わりますが、およそ全てのパターンに共通するのは
「発言者にとって、対象物は別格の存在である」
ということです。
対象物をゴキブリとしたケースで言いますと、発言者はゴキブリのことがこの世で一番嫌いであることが容易に読み取れます。
結論ですが
このような特殊なニュアンスを込められる言い回し、おそらく他にもあると思いますが、私みたいにストレートなものよりも曲がったものを好む人間(いわゆる天邪鬼)に言わせると結構好きです。
ある種のカッコ良さをそこに見出しているのだと思います。多分。
好き度レベルによっては中二病になってしまうのかもしれませんが…この歳で中二病認定は苦笑を禁じ得ないことになりますので行き過ぎないようにしていきたいと思います。
それではまた。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません