ふと立ち止まって秋冬の景色に意識を向ける心の余裕を

ふと立ち止まって秋冬の景色に意識を向ける心の余裕を

季節の移り変わり

こんにちは、本ブログ記載主のトーターです。

長かった夏も当然の如く終わりを告げ、だいぶ寒くなってまいりました。

まだダウンを着たりマフラーを巻いたりするほどではありませんので、冬になりかけの秋と言ったところでしょうか。

ふと立ち止まって木々を見てみると、赤や黄色に色づいているものや、すでに葉が全て落ちているものなど、季節相応の佇まいを見せておりました。

いやー、いつの間にか変わっていたようですね。

最近は仕事もプライベートもなんだかんだと忙しく、街を移動する時も「〇〇時までに△△へ行く」のように忙しない感じで行動していましたので、景色を見る余裕があまりなかったのです。

そもそも街に出ることも減っていたような気がします。

心に余裕のあるスタイル

まあ久しぶりに紅葉などに目を留めたのですが、実際に「立ち止まって」「季節の変わり目を感じ」ますと、上手く言い表せませんが「こういう時間も必要だ」となんとなく思います。

荒んだ心が癒されるとでも言いましょうか…。

時間に追われることなくぼんやりすることで、何かがチャージされるとでも言いましょうか…。

おそらくストレスとかも減っていくのではないかと思います。
(まあ私はもともとストレス体質ではないのですが)

よく、時間に余裕がありそうな人が、緑が豊富なエリアのベンチに座って本を読んでたりしますが、ああいうのがすごく心に良いスタイルなのでしょう。

あと、周りの自然に目をやりながら散歩したり。

そういうことを意識的に時間を取ってやらないと、都会住みの現代人はどんどん心がグレーになりかねませんね。

もちろん人にもよるのでしょうが、私は比較的そのような時間を摂取した方がよいタイプの人間かもしれません。

自然より都会が好きなんですけどね…。

余裕を持つべきか

そんなことを取りとめもなく考えていたのですが、これっておっさんになったからこその感情なのでは…?

ベンチで座ってのんびりしているのも、年配の方が多いですし。

自然の中を散歩している人も、年配の方(か小さい子ども連れの親御さん)がメインですし。

もしかして心身ともに若くあるためには、季節の移り変わりに気付けないほど毎日忙しくしていた方がよいのでは…?

定年退職してやることが無くなった人は急に老けるとも言いますよね。

あ、なんだかそんな気がしてきました。

というわけで、折衷案として、忙しく時間に追われながら街中の移動中に自然の風景にも目を配る…という方針で行こうかと思います。

我ながらなんのこっちゃという結論ですが。

それではまた。