芥川賞の受賞作が生成AI(ChatGPT)を用いて書かれたものであったと聞き、どちらかというと好印象を抱きました
あの有名な芥川賞に
こんにちは、本ブログ記載主のトーターです。
2024年1月に第170回芥川賞が発表されたのですが、その受賞作の「東京都同情塔」(九段理江さん著)について、一部が生成AIを使って書かれたものであることが話題になっていました。
外部記事:芥川賞作家・九段理江さん「受賞作の5%は生成AIの文章」発言の誤解と真意、AIある時代の創作とは
最初は「生成AIを使ってほぼ全部書いたのかな?それはものすごいなあ」と思っていたのですが、実際は上の記事にもありますとおり、極々一部のようです。
それでも大きな話題になっていたようですので、生成AIについては負の印象を持っている人が多いであろうことがなんとなく想像できますね。
「権威ある賞なのに生成AIを使って楽をするなんて!」
と言ったところでしょうか。
過渡期の考え方
私の考えとしましては、生成AIをガンガン使ったとしても特に問題ないという方向性です。
生成AIを使って稚拙なコンテンツを量産するのはどうかと思いますが、適所に、そして高度に利用することで品質の高いコンテンツを作れるのなら、それはそれで望ましいことだと考えます。
今回の受賞作「東京都同情塔」も、審査員の方々の高い評価を得たのでしょうし。
AIを上手く使いこなして高品質のコンテンツを世に生み出したということになりますよねこれ。
もう少し突っ込んで言いますと、
- 実在する友人から文章のヒントを貰うのと、生成AIからヒントを貰うのに、どれほどの違いがあるのか?
- 生成AI由来の文章が、全文章の1%未満だったらOKなのか? それとも0.1%でもあったらダメなのか? 境界はどこか?
みたいな疑問も浮かんできますので、結論としまして「利用すること」自体は特に問題ないということに
なりそうな気はします。
好みにあった生成
何年か前、何処かの科学博物館みたいなところに行った際、その展示物の中に、
「この先、AIが音楽などのコンテンツを作成するようになるが、人間が作成したものと区別するのが難しくなり、見聞きする側もそれを何者が作ったのかを気にしなくなる」
のようなことが記してありました。
自分が生きている内にそうなるかどうかは分からないけど、確かにそういう未来は来そうだなあ…などと考えていたのですが、ここ最近のAIの進化で意外に近い将来そうなりそうな気がしてきました。
自分の好みにドンピシャな物語を好きなだけ読めたり、自分の好みにドンピシャな音楽を好きなだけ聴けたり…そういう時代になってくるのでしょうね。
探す手間が省けて大変楽なことになりそうです。
それではまた。
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