「多様性」についてクリスマスの日に考えを巡らせるも結論は至極シンプルに
クリスマスという言葉が持つイメージ
こんにちは、本ブログ記載主のトーターです。
クリスマスという言葉からは、一般的には華やかで賑やかで、楽しくなってくる印象を受けるものだと思います。
しかし当然ながら、全世界中の人々がみな等しく華やかで賑やかで楽しい時間を過ごすのかというとそんなことはなく、人によってはクリスマスが嫌いな人もいるでしょうし、普段の日常と何一つ変わらない一日として認識している人もいるでしょうし、敬虔な仏教徒の人もいるでしょう。
おっさんと呼ばれるぐらいの年齢になってそのあたりの感覚がクリアにわかるようになってきています。
そしてそれも多様性とやらの一種だよなあとぼんやり考えていました。
若い頃は
まあ若い頃はよく世間というものを知らないものですから、街で見かける賑やかな飾り付けやテレビの中に映る楽し気な世界を見て、
「クリスマスとはこういうものなんだ」
という印象を植え付けられていた感がありますね。
「人と比べて自分はどうか」「一般的にはどう行動すれば恥ずかしくないか」
みたいなことを考え出すと、理想と現実のギャップが出来てきたりしまして、人によってはメンタル的なダメージを負うこともあるかと思います。
幸いにして私はどこか天邪鬼な気質を持っていますので、人と異なっていようとそんなに気に病むことはありませんでした。
むしろクリスマスの日に敢えて全然クリスマスに関係ないところに行ったりしていましたね…。
(それはそれでどうかと思いますが)
多様性の観点から
実際は上述のとおり多様性があり、いろんな人がいるわけでして。
冷静に考えますと、クリスマスっぽいことをしていない人やクリスマス気分じゃない人の方が多数派なのかもしれません。
(それは言い過ぎかな…?)
ちなみに、今年のクリスマスの日は用事がありまして、街中に二時間ほど出歩いていたのですが、確かに普段と比べると賑やかでカップルも多いのですがごくごく普通にしている普通の人も沢山見かけました。
コンビニでパンを買う人もいましたし、スーツを着て仕事の電話をしてそうな人もいました。
そういう「ステレオタイプな行動に沿っていないこと」は全然悪いことではありませんよね。
多様性の観点からも、全員が同じ方を向いたり同じことをしたりしない方がよいと思います。
結論は
まあ多様性がなんだとか色々仰々しく言いましたが、単に「人それぞれ」というだけのことですね。
クリスマスの件に限らず、世の中には様々な考えを持った人たち、様々な状況に置かれた人たちがいるということを普段から意識して、物事を考えていきたいものです。
それではまた。
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