独りで会話しながら歩く人を見て思う、やったもん勝ちという価値観
街中でたまに見かけるようになりました
こんにちは、本ブログ記載主のトーターです。
少し前からですが、街中で独りで会話しながら歩いている人をたまに見かけるようになりました。
パッと見、手に電話を持っている様子もありませんので、完全に独り言を言いながら歩いている怪しい人に見えますが、実はハンズフリー(手に通話機器を持たない)の状態で誰かと電話(通話)をしながら歩いているのだと思います。
最近はもう珍しくない存在になりましたが、最初に見た時はちょっとギョッとしたものです。
そしてそれをやっている人は、比較的若い人に多いような気がします。
やったもん勝ち
街中でそういう人を見かけますと、たまに「やったもん勝ち」という言葉が頭に浮かんできます。
この「やったもん勝ち」の感覚的なことをかみ砕いて説明しようとしますとちょっと表現が難しいのですが、なるべく誤解が無いように言葉にしてみますと、以下のようになります。
「周りの人たちに比べて、抜け駆けして効率的なことをしている」
「周りの人たちに、少しばかり迷惑をかけている」
ここでいうところの「迷惑」ですが、本当に些細なもので、例えば私が上で書きましたように「ギョッとさせる」のような程度です。
この「迷惑」の度合いが強くなってくると、周りの人たちが受ける負の感情も強くなりますので、もうこれはやっちゃダメです。
行列への割り込みとかがそれに該当しますね。
割り込みを「やったもん勝ち」と捉える人もいるかもしれませんが、基本的にやっちゃダメですので、勝ちではありません。
まあ私のこの感覚的なものは他の人にはわかりにくいかもしれませんが、とりあえず言いたいことは、独りで街中を歩きながらハンズフリーで通話することはちょうど良い「やったもん勝ち」なことということです。
ちょうど良いギリギリ感
この「ちょうど良い」というのがなかなか微妙なところでして、
周りに迷惑をかけるんだけど些細なのでギリギリ大丈夫!
というラインになっています。
この「些細」というのも人によって異なりますので、そういう観点からもこれを理解してくれる方はごく少数かもしれません。
そして私も若者に倣って、そのうちハンズフリー通話をやりだすかもしれません。
ギリギリ大丈夫で、かつ効率的だという判断ですので。
余談ですが
完全に余談ですが、通話はしていないけれど独りで何かを話しながら歩いている人もたまに居ますね。
そのような人たちは今までは奇異の目で見られていたケースもあったかもしれませんが、もしかしたら今後は紛れていく可能性もあります。
違いや境を見極めることが難しい世の中になっていくのかもしれません。
それではまた。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません