文章を作成してくれるAI「ChatGPT」の利用制限や禁止の方向性について述べられている記事を読んで感じた違和感と考察
AIが便利すぎて色々と混乱が
こんにちは、本ブログ記載主のトーターです。
最近ずっと世間で話題になっているAI、ChatGPTについてですが、その威力が高すぎるためか、利用性制限や禁止のような対策を取るケースが増えてきているという記事をちらほら見かけるようになりました。
例えば、大学における論文やレポート作成でChatGPTを使用するのは認められなかったりするようです。
外部記事:チャットGPT、学生の利用に対策…上智大「論文使用なら厳格な対応」(Yahoo!ニュース)
ChatGPTを利用しますと、超速度でそれなりの(それっぽい)文章を大量に作成できますので、文章作成能力が問われる学生向け課題などは相当楽になることが想像できます。
そうなるとこういう制限がかかってしまうのも無理のない話だというのはまあ確かにそうなのでしょうが、最初それらの記事を読んだ時になんとなく違和感を感じてしまいました。
違和感の正体
どういう違和感かと言いますと。
このようなAIが世の中に浸透してくると「人間は、AIでもできるような単純作業的なことから解放されて、よりクリエイティブなことに時間を使えるようになる」というふうなことが以前から言われていたと思うのですが、意外とそうでもない…?と感じてしまったのです。
AIにかなりの割合任せておける課題なのに、任せてはならない。
自分の時間と労力を消費してクリアしなければならない。
自転車に乗って行けばすぐに目的地に着いて目当ての買い物もできるのに、わざわざ歩くことで時間をかけちゃうようなイメージです。
世の中に見られる方向性への理解
ただ、よくよく考えるとこれは仕方がないことだということも納得できます。
自分で文章を考えたり全体構成を練ったり情報ソースを確認したり…課題提供側にそういう能力を向上させたいという意図・意義がある場合は、ChatGPTがその達成を邪魔してしまいますからね。
先ほどの自転車の例で言いますと、早く目的地に着いて買い物を終わらせることが目的の全てではなく、歩くことで足腰を鈍らせないようにしたり日光浴をしたりといった副次効果の部分も重視しているということです。
現在の論文課題やレポート作成課題は、ChatGPTのようなAIの存在を前提としたものになっていない、と表現してもいいでしょう。
うーむ、やはり利用制限や禁止の方向になってしまうのはやむを得ないことですかね…。
少なくともしばらくの間は。
テクノロジーの変革の過渡期ということなのでしょう。
そのうち、大学のレポートはAIで作成するのが普通になるのかもしれませんし、それどころか世の中のほぼ全ての文章はAIが作るようになるのかもしれません。
AIの進化の先にあるのは
しかしそこから更に考えを進めますと、世の中がそこまで進歩しますと人間が文章を作ることがほぼ無くなってくると思うのですが、果たしてそれで人間がクリエイティブな仕事をできるようになるのでしょうか…?
文章を作らないようになりますと、人間の基礎的な言語能力とか(物事の順序を考えて説明する能力とか)が衰えてくると思いますが、それは脳の退化ですよねきっと。
そういう基礎的な部分の退化が起こることで、文章に関するクリエイティブさも失われるような気がします。
文章理解能力まで失われると、AIがどんな素晴らしい文章を作ってもそれを解釈できなくなってしまったり…。
いやー怖いですね。
まあでもそれはそれで色んなバランスが取られつつ地球は回り続けるのでしょう。
それではまた。
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